国破山河在 長安の都は戦いで破壊されたが、山と河の自然はもとのままだ 城春草木深 荒れはてた街に春が来て、草や木が深々と生い茂る 感時花潅涙 この時世に心が痛み、美しく咲く花を見れば涙があふれて 恨別鳥驚心 親しい人との死別を嘆くたびに、鳥の声にも胸騒ぎを覚えてしまう 烽火蓮三月 戦いののろし火は三ヶ月を経た今も止まず 家書抵萬金 離れ離れになった家族からの手紙は万金に価するほど懐かしい 白頭掻更短 白くなった頭を掻くと髪はすっかり薄くなり 渾欲不勝簪 かんざしさえ、させなくなろうとしている |
春望 国破山河在 国破れて山河在り 城春草木深 城春にして草木深し 感時花潅涙 時に感じては花にも涙を潅ぎ 恨別鳥驚心 別れを恨んで鳥にも心を驚かす 烽火蓮三月 烽火三月に連なり 家書抵萬金 家書万金に抵る 白頭掻更短 白頭掻けば更に短く 渾欲不勝簪 渾て簪に勝えざらんと欲す |
「楊貴妃」の街、西安 Youkihi's town, 西安
秦の始皇帝が紀元前221年に中国最初の統一国家を造り、西安の北西に都を築きました。豪壮な宮殿を造ったり、大規模な土木工事をするなど力を誇示しましたが、秦の時代は3代15年で滅び、やがて前漢の時代が訪れました。その時代、劉邦(リュウホウ)は西安の北西に都を築き、長安と名付け紀元後8年まで前漢時代の泰平が続きました。後漢時代が220年まで続き、三国時代、晋、南北朝時代、隋と続き、隋の文帝が西安に大都市を築きました。
やがて唐の時代が訪れ(618〜907)年まで続きました。
そうです。私はこの唐時代の楊貴妃と、そして楊貴妃(719〜756)に腰抜けにされた玄宗皇帝(712〜756)にお会いしたくて西安に行きました。
街の印象は
●街全体に特有の臭いがある気がします(個人的に)
●街全体が砂ぼこり(確かタクラマカン砂漠の影響だったかな?)
●広大な土地
●貧富の差がもの凄いと感じました(例えようがありません)表通りは摩天楼、路地裏は終戦直後かな
●猛暑(日中40℃)/7月
●空気は乾燥している
●樹齢のある街路樹が多い(落葉樹)個人的には大好きである
●料理は私の味覚には合わない感じがします(餃子、シュウマイの皮が厚い)、生ものは避けた方が良い。麺類を期待していましたが、細麺で味が薄い感じがしました
●道路沿いの看板が、やたら大きい
●勿論信号機は無い
●西安の人は夕方集団で夕涼みに出る習慣があるようです(もの凄い人)
●タクシーにスズキの軽が多い
●水は飲めないから飲料水はペットボトルを購入する
●ハイウエーでは荷台の荷物の上に人が乗っているし、街中のバスは鮨詰め、ベンツも走ればリヤカーも走る
理解できた事と新発見
●楊貴妃は体重が80Kg位あったとのこと
●スズキのタクシーは、後部座席が案外広い。街中を走るアルトはスリル満点(信号機が無い、視点位置が低い)しか しエア コンが無いため真夏は生き地獄。エアコン付のタクシーへ乗ってください(あくまでも添乗員の指示に従ってくだ さい)
●美術工芸品の掲示価格が基本的に高いから、まず、値切りの交渉から始まり、欲しい商品は最後までトコトン粘ること。(実は、上海で買った方が安いし、偽物注意)
●観光客は80%が日本人
●街の人々に躍動感があり、ビジネスチャンスをうかがっている。必死で生活している様子が伺える。近い将来が楽しみ。幼少時代に見た、両親の後姿に似ている感じがしました。もっと頑張ろうよ日本!
●高級マンション建築ラッシュ。女性の求める男性像は、マンション、車、冷蔵庫、エアコンを所有していること
●デパートの中は日本とあまり変わらない、売り子さんは美人ですよ
非常に残念なこと
●たくさんの写真を撮影しましたが、編集中にほとんど消去してしまいました(うっかり次の写真を上書きしました)、同行者の皆さんにご迷惑をおかけいたしました
●観光地にスリが多い(実を申しますと、私自身が狙われました)
●青龍寺を訪れる人は日本人観光客がほとんどだそうです。私達の希望で急きょ訪れましたが、流暢な日本語を使う案内役の人は、何でも(?)売るみたいです?
●内陸地で水利条件があまり良くない為でしょうか、あらゆる池の水は濁っている。特に青龍寺の池などはひどい状態です。
感想
●歴史を感じさせる街です。機会があればもう一度訪れたい街といえます。秦始皇帝兵馬俑抗のスケールも百聞一見です。シルクロードの街、城壁に囲まれた街、玄奘三蔵(三蔵法師)の街、遣唐使空海がインド・中国の密教の秘法を継承された街