HYATTホテル 右前方百貨店,街を走る車はスズキのアルト


鐘突き堂前公園


HYATTホテル前商店街


西安に鳴り響く鐘


小雁塔(中はスリが多い)


青龍寺


青龍寺内空海の紹介


青龍寺内

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玄奘は仏教の原典を求めてインド(天竺)へ 
当時、唐の国(太宗皇帝)は鎖国制度の為出国できず、国禁を犯して出国します。想像を絶する険しい過酷な道程の旅であった事が伺えます。帰国できる確立は約1割以下、しかも3年かけてやっとのことでインドにたどり着きます。

帰国した時には17年の歳月が流れていたといいますから、ものの例えようがありません。通過した国128国、全長距離3万キロ。

太宗皇帝の許しを得て入国しますが、出国時と違い大歓迎を受けます。それもそのはず、出国を禁止したのは、優秀な僧を旅に出したくなかったからだとも聞きます。帰国後は終生まで膨大な経典の翻訳作業に取り組みますが、経典の約3分の1しか訳せなかったとも伝えられています。そしてまた、旅の様子を「大唐西域記」としてまとめました。私達には「西遊記」として語られています。

玄奘三蔵を宗祖とする仏教は、「法相宗」として道昭により日本に伝えられました。成唯識論を中心に万物唯識を説く学問仏教です。

 玄奘三蔵(602〜664)と西遊記・そして日本へ
唐の時代に生きた、あまりにも有名な詩人、李白(701〜762)と杜甫(712〜770)。その中でも私の記憶に残る、杜甫の「春望」を紹介します。
 国破山河在     長安の都は戦いで破壊されたが、山と河の自然はもとのままだ
 城春草木深     荒れはてた街に春が来て、草や木が深々と生い茂る
 感時花潅涙     この時世に心が痛み、美しく咲く花を見れば涙があふれて
 恨別鳥驚心     親しい人との死別を嘆くたびに、鳥の声にも胸騒ぎを覚えてしまう
 烽火蓮三月     戦いののろし火は三ヶ月を経た今も止まず
 家書抵萬金     離れ離れになった家族からの手紙は万金に価するほど懐かしい
 白頭掻更短     白くなった頭を掻くと髪はすっかり薄くなり
 渾欲不勝簪     かんざしさえ、させなくなろうとしている
[宗教」の街、西安

 春望

 国破山河在     国破れて山河在り
 城春草木深     城春にして草木深し
 感時花潅涙     時に感じては花にも涙を潅ぎ
 恨別鳥驚心     別れを恨んで鳥にも心を驚かす
 烽火蓮三月     烽火三月に連なり
 家書抵萬金     家書万金に抵る
 白頭掻更短     白頭掻けば更に短く
 渾欲不勝簪     渾て簪に勝えざらんと欲す



 「貴族文化」の街、西安
浅学非才の私が空海のことを紹介するには、あまりにもおこがましいことですが、私なりの見聞録です。
当時、世界一の大都市といわれた長安(現在の西安)に空海が遣唐使として訪れたのが804年。翌年の805年に、インド密教である「大日経」と[金剛頂経」の両方を継承した、青龍寺東塔院、高僧、恵果阿闍梨(ケイカアジャリ)と出会う。…出会うというより、空海が師を捜し求めたのでしょう。ところが、師も空海との出会いを切望していたらしく、「ずっと心待ちにしていた」とも語られています。ともあれ、「千載一遇」とでも申しましょうか、時空を越えた運命的な出会いであったことでしょう。
 
 
空海(774〜835)と恵果との出会い

「楊貴妃」の街、西安      Youkihi's town, 西安

秦の始皇帝が紀元前221年に中国最初の統一国家を造り、西安の北西に都を築きました。豪壮な宮殿を造ったり、大規模な土木工事をするなど力を誇示しましたが、秦の時代は3代15年で滅び、やがて前漢の時代が訪れました。その時代、劉邦(リュウホウ)は西安の北西に都を築き、長安と名付け紀元後8年まで前漢時代の泰平が続きました。後漢時代が220年まで続き、三国時代、晋、南北朝時代、隋と続き、隋の文帝が西安に大都市を築きました。
やがて唐の時代が訪れ(618〜907)年まで続きました。
そうです。私はこの唐時代の楊貴妃と、そして楊貴妃(719〜756)に腰抜けにされた玄宗皇帝(712〜756)にお会いしたくて西安に行きました。

街の印象は


●街全体に特有の臭いがある気がします(個人的に) 
●街全体が砂ぼこり(確かタクラマカン砂漠の影響だったかな?) 
●広大な土地 
●貧富の差がもの凄いと感じました(例えようがありません)表通りは摩天楼、路地裏は終戦直後かな 
●猛暑(日中40℃)/7月
●空気は乾燥している 
●樹齢のある街路樹が多い(落葉樹)個人的には大好きである 
●料理は私の味覚には合わない感じがします(餃子、シュウマイの皮が厚い)、生ものは避けた方が良い。麺類を期待していましたが、細麺で味が薄い感じがしました 
●道路沿いの看板が、やたら大きい 
●勿論信号機は無い 
●西安の人は夕方集団で夕涼みに出る習慣があるようです(もの凄い人) 
●タクシーにスズキの軽が多い 
●水は飲めないから飲料水はペットボトルを購入する 
●ハイウエーでは荷台の荷物の上に人が乗っているし、街中のバスは鮨詰め、ベンツも走ればリヤカーも走る

理解できた事と新発見

●楊貴妃は体重が80Kg位あったとのこと 
●スズキのタクシーは、後部座席が案外広い。街中を走るアルトはスリル満点(信号機が無い、視点位置が低い)しか しエア コンが無いため真夏は生き地獄。エアコン付のタクシーへ乗ってください(あくまでも添乗員の指示に従ってくだ さい) 
●美術工芸品の掲示価格が基本的に高いから、まず、値切りの交渉から始まり、欲しい商品は最後までトコトン粘ること。(実は、上海で買った方が安いし、偽物注意) 
●観光客は80%が日本人 
●街の人々に躍動感があり、ビジネスチャンスをうかがっている。必死で生活している様子が伺える。近い将来が楽しみ。幼少時代に見た、両親の後姿に似ている感じがしました。もっと頑張ろうよ日本! 
●高級マンション建築ラッシュ。女性の求める男性像は、マンション、車、冷蔵庫、エアコンを所有していること 
●デパートの中は日本とあまり変わらない、売り子さんは美人ですよ 

非常に残念なこと

●たくさんの写真を撮影しましたが、編集中にほとんど消去してしまいました(うっかり次の写真を上書きしました)、同行者の皆さんにご迷惑をおかけいたしました 
●観光地にスリが多い(実を申しますと、私自身が狙われました)
●青龍寺を訪れる人は日本人観光客がほとんどだそうです。私達の希望で急きょ訪れましたが、流暢な日本語を使う案内役の人は、何でも(?)売るみたいです?
●内陸地で水利条件があまり良くない為でしょうか、あらゆる池の水は濁っている。特に青龍寺の池などはひどい状態です。

感想

●歴史を感じさせる街です。機会があればもう一度訪れたい街といえます。秦始皇帝兵馬俑抗のスケールも百聞一見です。シルクロードの街、城壁に囲まれた街、玄奘三蔵(三蔵法師)の街、遣唐使空海がインド・中国の密教の秘法を継承された街